鈴ヶ森刑場遺跡

東京都品川区南大井に存在する鈴ヶ森刑場遺跡。1651年(慶安4年)に設けられ1871年(明治4年)に閉鎖された仕置場(処刑場)です。詳細な記録は残っていはいないということですが、ここの処刑場では約20万人の罪人が処刑されたと言われています。

処刑内容は残忍を極め、火炙り、磔という処刑方法としては他の方法よりも凄惨な処刑を採用する場所として有名です。多くの罪人が凄惨を極まる処刑をされてということで、怨念が留まる地という血塗られた言い伝えがあります。

火炙り、磔という処刑方法は言葉以上に悲惨なものだということです。火炙りは一気に全身を焼くというものではなく、低温で足元を炙り続け、その激痛を長く与え続け絶命させるというもの。そして磔は罪人の両脇腹を何度も突き刺し、斬首などと違い、一瞬で絶命させずに長く苦しめる酷い処刑方法というもの。

鈴ヶ森刑場の遺跡などを写真撮影すると良くないものが写るという言い伝えが多くあります。その噂は真実か分かりませんが、多くの罪人が苦しみ抜いて無残な最期を迎えた場所ということで、不吉なことが起こる場所として長く言い伝えられてきたのだと思います。

心霊スポットとして有名となり、興味本位で訪問する若い方が多くなってきています。

また、こちらの処刑場は演劇や歌舞伎で悲恋物語として取り上げられる、八百屋お七が処刑されたと場所としても有名です。八百屋お七は創作ですが、お七のモデルとなった人物が存在したとのこと。

他にも、江戸時代前半に起きた慶安の変に参加した、丸橋忠弥が磔で処刑されました。

このように鈴ヶ森刑場遺跡はいわくがある場所ですが、実際に訪問してみると特に何も感じませんでした。ただ、それは昼間であり、人通りが多い時間帯だったかもしれません。ですが、夜中に訪問したとしたら、ちょっと怖い場所かもしれません。

鈴ヶ森刑場遺跡は駅から近く、周辺に有料駐車場もあります。また、首都高速の出入り口付近にある場所なので訪問しやすいと思います。ご縁があれば訪問してみてはいかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です